第8話<母>

「お邪魔しました」

 充は松尾家の一階に降りると美咲の母・和美にそう言った。
 和美はその声で、初めて家に充が居たことに気付く。

「ど…どうして」

 和美は動揺を隠し切れなかった。

「どうしてって…
 美咲が熱で倒れたから連れて帰って来てあげたんだよ」

「そ…それはどうも…大丈夫かしら」

 和美はもちろん美咲を心配した。
 しかしその心配もすぐに打ち消されることになる。
 充の疑問によって―

「ねぇ、和美さん。
 美咲って幼稚園の頃、幅根幼稚園ってとこに通ってなかった?」

「え…」

 和美は口ごもった。





 その夜、松尾家に父・健史が帰ると、和美はすぐに寄って行った。

「お父さん!」

 その声に健史は「どうした?」と声をかける。

「美咲がね、熱を出したの…」

「大丈夫なのか?」

「うん、たいした事はないみたい」

「そうか」

 健史はそう言って二階の美咲の部屋へ向かおうとした。
 しかし、それを和美が止めた。

「それと…もう一つ話したいことがあるの」

 和美の真剣な顔に健史は真剣に聞く耳を持ち、二人はリビングに向かった。

「ねぇ、橋川さんとこの…事だけど…」

「…ああ」

 その時、ちょうど美咲は何か飲み物を探しに、一階に降りてきていた。
 しかし、両親の声が聞こえ階段で隠れて盗み聞きをすることにした。

「あの人の子供が…美咲を連れて来てくれて…
 『美咲は幅根幼稚園に行ってたんじゃないか?』
 って私に聞いてきたのよ…もう…どうにかしてよ!!怖いわ―」

「…すまない…でも…」

「でも?もう…美咲に全部…知られちゃうじゃないの…」

「美咲に兄がいる事を教えたのはお前だろ」

 健史は和美が美咲に兄がいる事を教えたのを知っていた。

「しょうがないじゃない…あの人が脅しの電話を…」

 『幅根幼稚園』…?
 美咲は、聞き覚えのある幼稚園だと思った。
 確かに美咲は幅根幼稚園に通っていた。
 それは…隠すほどの事だろうか?

 あの人というのはたぶん充の事であろう。
 美咲はそう思った。





「…母さん」

 夕日の射す大部屋の病室に充は居た。
 向かって右奥のベッドに横たわるのは充の母・景子。
 いつも窓の外を見ている為、ドアから入ると彼女はいつも背を向けている。

「ああ…充」

「母さん、俺と美咲は同じ幼稚園に行ってたのか?」

「み…充?…それを聞いてどうするの?」

 ベッドに横になりながら充の母・景子は自分の息子を見た。

「美咲の部屋で幼稚園の頃の写真を見た。美咲の隣には確かに俺がいたんだ。」

「…それは、本当なの?」

 景子は驚いていた。
 まさか、あの和美がその写真を飾る事を許すのか?と疑問に思ったのだ。

「やっぱりそうなんだな。
 もうそろそろ母さんの口から本当のことを言ってくれよ!」

 充は今までたくさんのバイトをし、金をかき集めて興信所に通い詰めていた。
 それは母が口を割らないのが原因だった。

 自らの父親を知らないのは嫌だと思っていたし、不幸にした復讐も考えていた。
 また、景子はそれを考慮して口を割らなかった。
 そしてやっとわかったのだ。
 父を―松尾健史を。

「…私からは何も言えないわ」

「俺、幅根にいたのにある日突然引越ししたよな」

「…そうね」

「その時にバレたんじゃねぇのか?松尾夫妻に…」

「嫌!もうやめてその話はしたくない!」

 景子は布団に隠れた。
 当時の嫌な想いをもう思い出したくなかった。

 このこともまた景子は口を割らないだろう。
 充はそう予感し、病室を後にした。





 美咲は家でまたアルバム探しを始めていた。
 熱で倒れていたが、力を振り絞った。

 もちろん、幼稚園時代の卒園アルバムを探す。
 それはすぐに発見された。

 最後のページ。
 卒園者の名簿を見ていく。

 西野、野川、野々垣…あれ?

「橋川がない…」

 美咲は少しショックを受けていた。
 もしかしたら、あの写真の男の子は充であり、何かしら運命があったのか。と思いたかったからだ。

 コンコンッ
 和美がノックをし、部屋へと入って来た。

「美咲ー…なっ何してるの?!」

 和美の手にはおかゆが入ってそうな、小さなナベを持っていた。

 母は、美咲が卒園アルバムを見ている事に驚いていた。

 その後、健史も美咲の部屋に入ってきた。
 健史も美咲の姿に少し驚いた様子だった。

「ただ卒園アルバム見てただけだよ?そんな驚く事ないじゃん」

「そ…そうね…」

 母はまるで自分に言い聞かせるように頷いた。
 父はベッドに座ると、やはりあの写真が嫌でも目に入ってしまった。
 美咲と充の幼稚園時代の写真。
 しかし、これが充だという事は美咲は知らないはずだ。

 健史は冷静になって問いかける。

「…どこからこの写真を…?」

「どうしたの?お父さん、それ普通にあったよ?飾っちゃダメだったの…?」

 恐る恐る問いかけた。
 何かあるんだろうか?
 これが兄ならば、そんなに兄が嫌いなのか?
 自分の子供なのに…

「い…いや別に」

 それから少し沈黙が流れた。

 その後だった。
 美咲はその沈黙が息苦しくなり、唐突に変な質問をした。

「お父さん、何で浮気したの?」

 健史は言葉を失ったが、答えはちゃんと返してくれた。

「…申し訳ない」

 ただその言葉だけ。
 それから下を向いて、娘と目を合わさないようにしている。

「魔がさしただけよ」

 言葉を加えるのは和美だ。

「母さんに聞いてないよ」

 美咲の言葉に母はハッとし、すぐに「ごめんなさい」と言った。

 母の愛情は本当におかしい、美咲は何日か前からそう思っている。
 父に何があったか知らないが、やはり浮気は許せなかった。
 それを「魔がさした」と片付ける母も許せない。
 美咲は兄にとても申し訳ない気持ちになってしまった。





 翌日、学校に行くと越川に話しかけられ「熱はもう大丈夫か?」と言われた。
 美咲は「大丈夫」だと言った。
 二人は少しぎくしゃくしながら、その場ですぐに別れた。

 そして、授業中。
 充の席をふと見ると、充がいないことに美咲は気付いた。

 授業終了のチャイムが鳴ると同時に充と仲のいい友達、健司に話しかけた。
 女子に敵は多いが、男子には敵はいない。
 今の状況では女子より男子の方が付き合いやすい部分がある。

「ああ、充は風邪だって。でも…本当大丈夫かなぁ?」

「…え?何かあるの?」

 美咲は心配になった。

「あいつの家、母親が病気で入院してるから…
 家には今あいつ一人なんだよ。父親もいないらしくて…」

 初めて聞く充の母の話。

「あ、あの…橋川君の住所教えてくれない?」

 美咲は充に会いに行こうと思った。
 昨日の礼も言いたいと思った。

 健司はニコニコとし、嬉しそうに充の住所をメモしてくれている。

 この時、美咲は昨日の充との会話を思い出した。
 「バラしとく」と言ったのだからバレているはず…。
 ならば兄と呼べば良かったのだろうか…

 しかし、健司の言葉を聞いてその思いをとどめさせた。

「そっか、お前彼女・・だもんな。…いや、だったら知っとけよ!」

 と突っ込まれた。

 美咲は拍子抜けしてしまった。
 兄妹だとバレてしまえばどんだけ楽なことか。
 そう思いながらも彼の言葉を右から左へと聞き流した。

 いっそ「彼女(・・)じゃなくて兄妹(・・)なんだよ」と勢いで言ってしまいたかった。



第九話…今度は充が風邪ひいちゃいまして、美咲が看病しに行くんですよ。
充は今一人暮らし状態。何かと不自由です。
昨日、互いの優しさに触れ―充は美咲を大切にしようと思い始めるのです。
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