第33話<急逝>

 病院に着いた途端、美咲は小走りになっていた。
 それに健司も追いかける。

 『橋川景子』の名札がある病室に辿り着いた二人はガラッと扉を開けた。
 その瞬間に美咲はその場に崩れ落ちてしまった。

「うそ…」

 健司もまた目を丸く開いたままだ。

 二人の目に映るのはベッドの上で白い布を顔にかけた景子の眠る姿。

 まるで死んでしまったみたい…
 ううん、違う。死んでしまったんだ…

 二人はそう心の中で自分自身に言い聞かせていた。

 美咲は自分を何とか落ち着かせ、ベッド脇に充がいるのを見た。

「…お兄ちゃん…」

 美咲は急いで充に近寄り、彼の手を握った。

 今まで二人だけで生きてきた…
 この人を頼りに生きてきた兄は…これからどうするのだろうか―

「何でお前が泣いてんだよ…」

 涙を流しながら、頑張って笑顔を作る兄が痛々しい。
 今の私に何ができるだろう。
 大好きな兄に…

 美咲は充を力いっぱい抱きしめた。

「お兄ちゃん…私達兄妹だよ…?」

「おう」

 美咲の髪を撫でながら、愛おしく思う。
 その傍ら、母の死の悲しさから涙が止まらない。
 不安でたまらない気持になる。

 どうして逝ってしまったんだ?
 俺一人を置いて…
 どうして病気になって…死んでしまったんだよ―!

 美咲は兄から離れ、彼が涙する姿を見た。
 自らの涙を拭いながら彼女は言う。

「お兄ちゃんは一人じゃないんだよ…」

 充は目を見開き、ただただ美咲を見つめていた。

 俺はもう…美咲から離れることはできない…
 離れたいと思うことも一生ないだろう―

 兄妹という名の下に、だろう。
 それでも愛してしまった。

 今、それを…俺の気持ちを伝えよう…

「美咲、俺―」

 しかし、健司がそれを止めた。
 まるで充が何を告げようとしたのか、知っていたかのように―

「これ遺言じゃねぇの?」

 健司が持っていたのは手紙のようで、封筒に入っていた。
 それはベッド横にある引き出しから見つけ出したようだ。

「充へ、美咲へ、健史さんへ、和美さんへ、あと俺宛。全部で五通入ってる。」

 三人はそれぞれの手紙を手に取った。



 美咲は自分へ宛てられた手紙を読んでいた。
 手紙は大まかに言えばこうだ。

 充や貴女にはとても嫌な思いをさせてしまったと思っています。
 この手紙を貴女が読んでいる頃には私は既に死んでいると思うけど、私が死んでこれからその嫌な思いを忘れて生きていって欲しい。
 忘れることは簡単ではないけど―

 あの人は死が訪れることを知っていたのか。

 美咲は静かに手紙をしまう。

 忘れることなどできない。
 この事実は一生私に付きまとうだろう…
 忘れられたらどれだけ楽だろうか。

「充?」

 健司が充を呼ぶ。
 美咲もその声に気づいて充の方を見た。

「どうしたの、お兄ちゃん」

「…母さんは最後まで俺にあの男の話をしなかった…」

 充は自分宛の手紙をくしゃくしゃにしてポケットへとしまってしまった。
 内容も知ることはできない。

 そのまま充は立ち上がり、病室を後にしてしまった。

「…お兄ちゃん…どっか行っちゃわないよね…?!」

「どうしてそう思うの?」

「…そんな…そんな気がしたの…」

 健司は目を細めた。
 本当にそうだったら…止めなければ…

「美咲ちゃん…充がどっか行ったら嫌?」

「嫌に決まってる!どこにも行って欲しくない」

 先ほど充が美咲に告白をしようとしたのに、どこかへ行こうとするのだろうか。

 すると美咲が立ち上がり、「ちょっと見てくる」と言う。
 健司は美咲が出て行くのを見送った。

 今の充に必要なのは美咲ちゃんなんだろうね―





 母が死んだ。
 俺はこれからどうやって一人で生きて行こう?

 遺言のような手紙にも書かれていた。


 お前には悪いことをした。
 これからの生き方は自由。
 それで失敗したら、いくらでも私を恨んで―

 家のことは健史さんを頼っていい。
 でもあまり迷惑をかけてはだめよ。

 私は誰よりも貴方が心配。
 そして愛しています。
 私の愛する息子…。


 家を松尾家に頼ってもいい?
 頼るものか。

 なぜあの男に頼らなければならない?!

 ならば一人で生きていくのみ。
 もっと安い家に引っ越して…学校も辞めなければならないかもしれない―


 その考えをもった瞬間聞こえた愛しい声。

「お兄ちゃん!」

 美咲が充を見つけたのは病院を出たところだった。
 充が振り返って美咲を見た。

「どうした?美咲」

 優しく聞く充。
 そんな充の手を美咲は静かに握った。

 充はそれに驚く。

「本当にどうしたんだよ―」

「…何でもないよ」

「変だな」

 フッと笑う充を見てまだ心が救われた気がした。
 美咲は心を決めて言う。

「お兄ちゃん…嫌かもしれないけど―これから、うちで住まない?」

 驚きのあまり、充は美咲を見たままだった。

「お父さんには私が頼むから!どうにかする」

「無理だよ。あの人が承諾するとは思えない」

「私は嫌なの!お兄ちゃんがどこかへ行っちゃうのが―
 お兄ちゃんがうちに住まないでどこかへ行くなら私も行く。ついていきます」

「何言ってるんだ?!そんなのお前の両親がいいと言うはずがない」

 充はすぐに美咲に向き直った。

「当たり前だよ。でも私達は兄妹だよ?!兄妹は一緒にいるものだよ」

 美咲の訴える目はとても強いものだった。
 彼女の決意は強い―

 だからこそダメなんだ。

「今の話、聞かなかったことにする」

「どうして?!」

 美咲は充の腕をつかんだ。
 今、掴まえておかなければ…兄はどこかへ消えてしまう。
 そんなの嫌なのに…



第三十四話…家出…健史さんはひどいですよ…涙
美咲の家出―和美の決心。充は…これからどうするのか?
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