第5話<室>

 ガラッ
 翌日の放課後、朱里は河邑のいる“理科教師の部屋”を勢いよく開けた。

 この部屋には名前が特に決められておらず、理科教師にあてがわれた部屋。
 理科室が校舎と離れになっており、教師がわざわざ行き来するのを考慮されてのもの。
 しかし“理科教師の部屋”と言えど、ここに居座るのは新人の河邑ただ一人。
 他の理科教師は職員室に戻り、あまり理科室での授業を行わないなど工夫しているよう。
 やはり離れになっていると人の多い職員室のが居心地がいいのだろう。

「先生!何とか父を説得しました!」

 そう言う朱里の顔はまるで勝ち誇ったかのような顔をしていた。

 豊の方はというと、椅子に座り、足を隣の椅子に上げていたのだが、すぐに立ち上がってドアの方を見ていた。

「ああ…お前か」

 先ほどの様子を見られてはまずいと思ったのだが、朱里を見てまた同じように座り直した。
 昨日で、自分の猫かぶりはばれているのだから。

「やっぱり先生…猫かぶってんだね」

「あ?何が悪い?それに、生徒には猫かぶってないだろ」

 そりゃそうだ、朱里はそう思った。
 猫かぶっていたら、あんなには怖くならないだろうに…。

 朱里がそう思っていると豊が問う。

「で、何だよ。"父を説得"って」

「いや、あのの話ですよ。父の承諾が得られたんですよ!!」

 朱里はまた勝ち誇った顔をした。
 それを見て豊が真剣にこう問う。

「どんな手を使った」

「…"どんな手"って…家事を全般できるように、と」

「そらそうだな、俺は次男坊で公務員なんだ。家政婦なんて雇う気ないからな」

 豊はそう言うとすぐに机に向かい、仕事を続けた。
 その背を見ながら朱里はこう言った。

「頑張りますから、これからもどうぞよろしくお願いします」

 そして、軽く頭を下げていた。
 豊は椅子を回転させ、朱里を見てこう言う。

「お前は変なヤツだな。結婚に魅力を感じないのか?」

「いや、別に感じないわけじゃないですけど…一つの手段・・です。」

「父の会社を助ける為か…
 普通、お前の年頃の奴らは結婚に夢を持ってると思ってたからな」

 『結婚するならお金持ちがいい!』
 『かっこいい人がいいなぁ』
 『私を愛してくれる人がいいわ』

 今時の子ならこれぐらい思っているであろうと、豊は思ったのだ。

「じゃあ…先生が魅力を感じさせてくださいよ」

 何気なく言った朱里の一言なのだが、豊にとってはまるで挑戦状を叩きつけられたかのように感じた。

「ふーん…そうだな。
 お前は美人だし、学校の男共はお前を知らないやつはいないだろうし。
 そんなヤツを嫁にもらうんだ、できるだけお前に尽くすよ。結婚できたらだけどな」

 何度でも釘を刺すのが豊だった。
 結婚できるか、できないかはお前次第なのだ―
 そして、豊は内心思う。
 むしろ俺が魅力を感じさせられそうだ、と。

「私、美人じゃないし…」

 少し恥じらった朱里の姿が可愛らしく思い、それを自分の目に焼き付けてまた机に向かおうとした時、朱里がこう言った。

「慶子と小松にこの事話していい?」

 豊は、いつも朱里の隣にいるあの男女のことかと思い出していた。

「…あの二人にだけだ。注意して話せよ?」

 しょうがなさそうに言う豊。

「はい、わかってます」

 それと対称的に、朱里はニッコリと笑顔を浮かべた。





 沢井朱里は、とても優しく美人で学校内でも男女問わず人気があった。
 それを朱里自身はあまり知らないのだが、とにかく憧れの存在、マドンナなのだ。

 それに対し河邑豊は、教師としては良い教師なのだが授業が恐ろしく、怒っても怒らなくても怖い理科教師というイメージで通っていた。

 そんな正反対の二人の結婚を聞いて、慶子も小松も黙っちゃいない。

「私の知らないところでどうしてそんな話が進んでんのよ!!」

 話の間中ずっと笑顔の朱里に、慶子はイライラしていた。

 重大な話だというのに!
 少しは悲しそうな顔でも見せなさいよ!

「そうだそうだ!よりによって相手がアイツって―」

 予想以上の反対意見に朱里も一瞬身がすくんだ。

「…会社のことだし…相手はさすがに選べないよ…でも結構良い奴だからさ!」

 二人を安心させるために言った"良い奴"だが、すぐにキスをされたことを思い出した。
 …"良い奴"じゃないよなぁ…猫かぶってるし…

 それにしても、これほど反対されるとは…
 そんなに河邑が嫌いなのだろうか…
 ああ、先が思いやられる…―

「あんたのお父さんは承諾したの?!」

「あー…私が家事全般できるようになったら承諾してくれるって」

「ぬあ?!ヤツ・・の家はお手伝いさんとかいないの?!」

 慶子が奇声を発しながら言う。

「先生は次男で公務員だし、お手伝いさんは雇うつもりないんだって!」

 人差し指をピンと立てて自慢気に言う朱里に慶子は呆れた。

「そうだよなぁ…今の朱里の生活より落ちるぞ…公務員って…」

 と、小松。

「…あんたがこんな形で結婚するとは…」

「そうだよ…朱里は自分で良い男を引っ掛けてちゃんと恋愛結婚をするっていうのが俺らのシナリオだったのに…」

 その小松の言葉に慶子が小松の頭をペシッといい音を出して叩き、小声で「言い方が悪い」と怒った。
 それに笑いながら、朱里は言う。

「式はやるか知らないけど、まあ…報告だけしとこうと思ってね」

 しかしこの笑顔が次の瞬間、小松の思いがけない言葉で消えてしまう。

「佑太のことはもういいのか…?」



第六話…小松の心配事…それが"佑太"なのです。
中学までこの三人とつるんでいた、同級生の男の子。
高校に入って別れ別れになり、音信不通になり…ってな感じで次話も読んでくださいな♪
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